のぶろぐ

文字で伝わる学の無さをお届けします

新訳・のぶくん用語大辞典①〜始まりのア行編

先の見えないこんな日々こそもう一度自分を知ろう、という事で僕が好んで使う用語や話に出す名詞を集めてみた。受け売りなども含まれているが往々にしてどれも日常生活では使い所に困る物しかないので諦めて受け入れるべし。
そして君もこれを読んで言語野を刺激し僕と友達になろう!

◎ア行

☆あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?

僕の親友でんでんが頻繁に口にする叫び声。余りのうるささから「発情期か?!」と心配される、主に僕から。イントネーションや音量によって細かなニュアンスは異なるが、往々にしてFPSで言うところの"Negative"に当たる。でんでんの真似して!って言われたらこれがもっともまるい。

☆あいー

主に格ゲーでコンボに入った時に使う喜びの表現だが、ダクソでバクスタ決めた場合などちょっとした歓びを見出した時にも使える。多くはこの後に「猫宮ひなただよー」と続く。なるべく抑揚のない声で言おう。
チンパンジーになる事の多い格ゲー中に出る事は稀なため、これが飛び出すのはリラックス出来てると逆説的に言える。

iPodにしてやろうか?

運転中、歩行者(ウォークマン)にブチギレた瞬間口から出てくる小洒落た悪態。全文はウォークマンが邪魔だな……iPodにしてやろうか!?」。初出は親友のしろっく
運転中の殆どの会話が反社会的な物になる僕たちだが、はんなりの心を京都で学んだ彼は「×す」という物騒な単語すら音楽プレーヤーへとアセンションさせた。反動として人間を物扱いしてる事には目を瞑ろう。
類義語に「はんなりさせてやろうか?」がある。罵倒に事欠かない集団である。

☆アズレン

みんなご存知大陸産ソシャゲ代表アズールレーン。本土仕込みの煌びやか且つエッチで種類豊富な衣装や、プレイヤーのちんちんを串田アキラもビックリなくらいガツガツと狙ってくる貪欲な艦娘たち。更に高いおねショタ適性が僕の心を掴んで止まない。
何よりコスプレが盛んであり、これだけでTwitterのコスプレフォロー垢のフォロー数が30ほど伸びた。ゲームプレイ自体はもうしてないが、公式ツイの更新が来る度に仲間たちとお祭り騒ぎをしている。エッチだし。

☆圧ある

何となく伝わるであろう雑な褒め言葉、強キャラ強技何でもござれ。最近は主にBBTAGのテイガーに使われる。日常的にも使えるのがこの単語のセールスポイント、オススメの使い方は爆乳のパイズリ絵を見たとき。

☆暴れ

不利状況で小パンを擦ること。僕の反応や連射の遅さもあり目の敵にしているプレイング。暴れを通されるのはゲームへの理解が低い証明なので反省しよう。
逆に開き直って暴れる事もある。微不利は有利!微不利は有利!

☆イタリア旅行

2017年3月に行われた卒業見込み旅行。モラルの低い3人が3日でローマ、フィレンツェベネツィアを駆け抜けた弾丸ツアー。
日本語が通じないのをいい事に、反社会的ワードが会話の大半を占めた。真昼間から酒を煽り反社会的な会話を繰り返す物騒な集団はイタリアーノにどう映っただろうか?初日にローマを20キロも歩かされたため、旅行中足裏が地獄だった。

☆いる?

チーム制格ゲーが多くなった昨今に使われ始めた煽り。主にはドラゴンボールで使用される。ただのサンドバッグと化した屍に向けて容赦なく煽りを入れるサマは大人気ない。
魔人ブウビルス様に至っては顔合わせの時点で言われる事もしばしば。何故か最強キャラのセルにもよく使われる。「いる(鋼の意思)」もしくは「いらない(猛省)」と簡潔に返すのがベター。

☆韻

ラップのあれ。オタクならクールなライムを嗜むべし。フリースタイルダンジョン
時間をかけて緻密な韻を踏むSTR型、多少精度は下がるが短時間で繰り出すAGI型が存在。両者を満たすものは高速神言と呼ばれる。a.k.a ニト。
「○○と××で韻が踏める」と言う時は大抵踏んでない。「踏んでねーだろ」とツッコミをしてあげよう。

ウメハラ

ご存知格ゲー界の超有名人。または彼を題材にした漫画、ウメハラ FIGHTING GAMERS! を示す。ウメハラ漫画とも。
勝ち負けの世界が残酷に描かれるスポ根な内容なのでリプライパワーの高いコマがやたら多い。敗北宣言にも使いやすい物が多く揃っているためメスガキやエッチピクチュアに対して非常に有効。web連載しているので気になったら検索してみよう。

ウロボロス

1. 大人気童貞向け2D格闘ゲームブレイブルーのキャラクター、ハザマが使う蛇を模したチェーン。伸ばす方向や派生技が極端に減らされたBBTAGは、僕の中で100点満点中マイナス2京点の高評価を獲得している。
2. 出来事がループしてる様、ないしは色々ややこしいけど一人だけで完結してる時に使う表現。コメディアス時代に猛威を振るったツッコミの一つ。回り回って、さぁ今。

☆XYZ

エクシーズ召喚、ではなくカクテルの一つでありバーに入ったら高確率で注文してる。ラムベースでレモンの柑橘と苦味が効いたオススメの一つ。「これ以上ない究極の一品」を冠して、この名前が付いた説がある。厨二心がくすぐられる。
なお読み方はバーテンダーによって揺れが激しく注文する時毎回恥をかく。他にもオススメしたいカクテルにギムレットマティーニなどがある。

☆エグゼイド

ホウジョウエムゥ!でお馴染みの檀黎斗が話題になった仮面ライダー。放送中は友達を家に呼び軽くお祭り騒ぎになっていた。
それまでの仮面ライダーに不信感を抱いていた僕の考えを覆した非常に素晴らしい作品。一方で仮面ライダー嫌いをある意味で加速させた罪深い作品でもある。
特撮作品に偏見を持ってる人や今まで見た事ない人に強くオススメしたい。

エッセル

グラブルの十天衆が一人。デカいケツを持つ姉属性のエルーン、しかもくさい(いいにおい)。性癖のバーベキューか?
一見さんを敬遠させる化粧や弟の方が正統派美人なこともあり、ブス美人というあんまりな呼ばれ方をされている。「ん…」という口癖は掛け値無しにカワイイ。
太古、乱暴勢が全盛期だった頃にソシエと併せていじられており、彼らはエッセルを仲間に迎えた者たちをブリーダーと呼んでいた。トレハン9というネタで様々な文学が生み出された事も。

☆オーストラリア

僕が二ヶ月半ほど留学した異国の地。ここで経験した事や出会った人の多くは非常に大切な思い出となっている。
サーフィンのしすぎで乳首が取れそうになったり、親の金でマリファナを吸ったり、語学学校をサボってシドニーに一人旅行ったり、聞く人が聞けば卒倒しそうな内容が多い。
ちなみにホストファミリーはファザーがスペイン人、マザーがチャイニーズと多文化主義を極めており、特に食生活はオーストラリアのオの字もなかった。帰国日に飛行機が止まったのは今となってはいい思い出。

☆オメガ陰茎フツルス

グラブルのシコれるキャラに対して送る最大級の賛辞。コスプレにもしばしば使う。
十天衆に対しては濃い十天汁が出たという表現をよく用いる。夏場はイベント名にちなんで射精夏、来たりてが主に使われた。
のぶグランくんのメイン装備。スキルは射精三手、勃起渾身、包茎守護。

☆おもちゃ

未発達な美少女キャラに充てる賛辞の一つ。多くの幼いキャラはチビと呼ばれ、おもちゃの称号を獲得できるキャラは少ない。いじめるとすぐ泣きそうだが壊れにくい物を差し、乱暴に対し非常に高い耐性を有してそうな個体がこう呼ばれる。
代表的なおもちゃはアズレンのベイリー、睦月など。おもちゃに該当するキャラが多い作品はトイザらスとも呼ばれ、おもちゃを多く出荷するイラストレーターたちをトイザらス部門と総称する。

☆親父

父親。アニメを録画しては僕に送り付けるのが趣味。
主にクソアニメを愛好するがネットの情報無しに、詰まる所自分の意志のみで、けものフレンズを"面白い"と見抜いた歴戦個体でもある。その割には覇権と呼ばれるアニメをことごとく観てない。でも異世界スマホは見てた。
彼の18禁美少女ゲームの攻略本には付箋がビッシリと詰まっていたり、東方を永夜抄までROMで持っていたり、書斎の五割近くがラノベだったりとなんて言うか血は争えねェという感想しか出てこない。
ロウきゅーぶ!とりゅうおうのおしごとがお気に入りらしい。血は争えねェ。

☆温泉

車で旅行する事が好きな僕たちがよくふやけに行くところ。サウナがあるとなお良い。
主な効能は健康増進。あがった後に「増進したわ〜」と無意味に言うのがオツ。一時期増進し過ぎて効果が感じられなくなったことも。
美少女アニメのサービスシーン頻出スポットでもある。いい出汁が取れそう。


小手調べのア行ですらこの数。自分で執筆してて胸焼けを起こしそうになったがこの調子で次回も続けるのでみんなついて来い!

不人気役者の挫折-中編

前編を読んでいただいた諸君はおわかりだろうが、この記事は不人気役者が女性へのモテなさを悲観するものではなく、自身の将来性の無さを嘆くものなのだ。別に嘆いたところで何か変わるわけでもないが、これを読むことでこんな惨めな道に進む若き演劇人諸君が途絶える事を切に願っている。……そんな奴この記事読むか?

☆FCD凱旋公演

前回からお馴染み、我らがコメディアスの顔となったファイナルカウントダウン(通称FCD)。ついに万を持して仙台に帰ってきた。

しかしこの公演の完遂は熾烈を極めた。

最早四度目となるFCDのためマンネリによって演技することへの弊害は激しく、G/PITでも辛酸を舐めさせられた「箱」問題。本人の責任っちゃそうなんだけども、外部劇団との扱いの差すなわち己の理想の差から不和を示す者も現れた。こんな事を書くとまた怒られそうだが、名前が売れた事により斜に構えたお客さんの増加もあり、どれもコメディという視点からは致命的だった。
そのうえ同時上演となるショート企画後の祭りの前夜祭の方がウケが良い、というかウケが良くなる状況が明らかに揃っていたため、成果を思うほど上げられなかったFCD出演役者たちの心労はとてつもないものとなった。

終演後、アンケートに目を通す。今度こそ確信した、「女性ウケ」の存在を。

この凱旋公演、活躍量でいえば言っちゃあ悪いが全員同じくらいだ。またまた言っちゃあ悪いが顔がいいから「ウケた」役者も確かに存在する。きっと本人もそんな些事なことを言い逃れしようなど絶対に思わないだろう。

また演劇人なら知っているだろうが、観客の中には陣中をくださる方もいる。決まってそういうのを送るのは勝手知ったる演劇人、特に女性だったりするのだが。
これを読んでる聡明な諸君らであれば、この後どんな事が起こるか想像に難くないだろう。だが予想は上回り最悪な方向で的中する。

私は漫画研究会にも所属している。後の祭りの前夜祭にも私の薦めで漫研部員が一人出演している。せっかくの親友の初大舞台、彼女の雄姿を見せたくて漫研の友達を多く誘った。
言うなれば僕が呼んだのは我々の友達。だが彼女たちがくれた陣中の宛名には僕の名前のみが存在していなかった
それどころか「僕以外」と宛名を書かれた物すら届く始末。そんな疲労困憊の男たちへと送られた冗談にしてはナンセンスで思いやりのなく悪辣が過ぎるプレゼントを前に、僕だけではなく共演した役者、ひいては打ち上げ会場全体が微妙な空気に包まれる事となった。

斯くして不人気役者は理解する。俺は自分の友達にすらも必要とされていなかったのだ、と。

本来ならこの言い方は語弊があるだろう。必要だとか不必要だとか、そういう次元の話ではないんだろう。
しかしこの凱旋公演までに得たものは、自己嫌悪と自己否定で模られた人間の"鋳型"に残った最後のプライドを崩し、影を落とすには十分すぎるものだった。

不人気役者どころか人間として不必要な存在が舞台に上がっても足を引っ張るしかできない。ましてや俺の培った技術や経験なぞ、どんな人間でも手に入れる事ができる。否、こんなロクな才能のないクズでも出来る事を出来ない方が異常なのだ、と。
俺は次の公演で演劇に一区切り付けようと決心した。

☆そもそも僕にとっての演劇

ここまで前編含め長々と話したが、今一度「僕にとって演劇とは何ぞや?」という命題について触れようと思う。

結論から言う。演劇というのはどうしようもないジャンルだ。女性向けではないのに関わらず、女性ウケがいいものの方が強い。別に性差別を謳おうってわけじゃないが、これを読んでる女性諸君は耳が痛いかもしれない。しかし確かに女性向けではないのに女性の占めるウェイトが高い、これこそが事実としてあるのだ。

さらに演劇というのはどうあがいても演劇人ないしは演劇好きの物でしかない。
君たちに問うがゲームはするか?漫画は読むか?映画は観るか?

ゲームは所謂ゲーマーでなくともするだろう。最近なんてどうぶつの森スマホ版が出たし、コアなゲーマーでなくともゲームには触れる。
漫画は余程の人間でない限り定期的に読むだろう。様々な作品、ジャンルがあるわけだからオタクでなくとも必ず読む。
映画は映画好きでなくとも観に行く。話題作は何となく観に行くだろう。逆にアニメ映画であればオタクだって観に行く。

では演劇はどうだ?映画と変わらないもしくはそれ以上の代金を払い、妙にアクセスの悪い会場へと足を運ぶ必要もあり、上演時間に遅刻するのは厳禁な場合が多い。TOKYOHEADの観客に格ゲープレイヤーがどれだけいた?
もうおわかりだろう。演劇は他のジャンルと比べると内輪のものでしかないのも当然だ。
また、客出しという制度がある。これは終演後会場の外で役者を始めとし、その公演に携わった人間が出迎えてくれるというものだが、これが内輪感の加速に一役買っているとも思っている。
せっかく面白いからと風の噂を頼りに来たお客さんが終演後、役者が自分たちの友達と嬉しそうに笑い合ってる光景なぞどのように映り、どんな思いを抱くだろうか?少なくとも疎外感ないしは一抹の寂しさを感じてもおかしくない。
客出しの制度を悪だ、とまでは言わない。しかしつまりはそういう事に繋がる。

上記の理由から、演劇は「いびつにいびつを重ねているどうしようもないジャンル」という結論だ。

しかしそれでも僕にとって演劇は大変挑みがいのある分野だった。

何よりも大きいのは演出の鈴木との出会い。20歳にもなろう前の少年に、この邂逅はもはや運命といって差し支えがなかった。
鈴木の下で行う演劇は僕の大好きな格闘ゲームのそれに酷似していた。「笑いを取る」という明確な勝利条件。その笑いを取るためにストイックに、飽くまでも論理的に舞台を組み立て観客との勝負に挑む。それも一筋縄ではいかず、笑いを取れる日があれば反応が芳しくない日もある。勝ち負けが存在する。
しかも楽しいだけじゃない、それだけでは続かない。努力が簡単に報われる"ぬるま湯"みたいな世界じゃつまらない。ここには苦難の果てにこそ得られる頂が、僕の求める勝負の世界が確かに存在した。

演劇祭という本当に勝ち負けが決まるイベントがあり、それに勝利したというのもある。実に嬉しいのは優勝そのものより観客賞をとうほく、全国両方でいただいた事だろう。こんな何もかもが中途半端で価値のないクズでも、鈴木の下でコメディをやっている間は観客のために生きていると言っても過言ではない。いやこの瞬間こそ生きる事を許されるのだ。

両親の超々々高等教育の賜物で勉強して高名と言われる大学に入ったが、結局は適当な文系に入って遊び倒しても就職後の年収なんて言うほど変わらないしどっちが幸せかなんてわからないだろ?大学で真面目に研究する事が世のためにもなり社会人になった時に必ず役に立つだと?こんなクマが出るような山奥に籠って教授だのなんだのと社会を知らん学生にふんぞり返ってないで世間を見てみろよ?声の大きいやつらは研究生に対してなんて言ってるか知ってる?僕には真に賢い者がどちらか判断できない。
どれも生きた心地がせず、結局俺は人間以下のクズで、それに倣っても充足なんて得られず奴隷でしかなかった。

だけど、詰まらない作品でも席を立つことを許されないのにわざわざ学生に対してお金を払い面倒な場所へ足を運ぶ。そんな本当に「神様」のようなお客さんの幸せのため、それがたとえ一時の物で今後の人生に影響を与えるものでなくとも、演劇をコメディを作っている間だけは鋳型なんかじゃない本物の人間になれた。

しかし浮き彫りになる他役者との人気の差に、賛辞の差に、才能の差に、慈善のようなもろい理想だけでは続けられなくなった。
人は正直だ。結局僕が大した人間でない事をよく嗅ぎ取り、称賛の量やぞんざいな扱いとなってそれは表れる。

確かに微塵も褒められなかったわけではなく、僕を称賛してくれた人のことは事細かに覚えている。重ねて言うがそれは本当に本当に嬉しく感謝してもし足りないほどだ。そう言ってくれるごく少数の人たちのおかげでKEYLOCKまで立ち上がれた。
だが凱旋公演での出来事は僕に色んな事を諦めさせるには充分すぎた。生きる事を許されたなんてのは独りよがりな勘違いでしかなかった、と。
そしてその同じ惨めさをKEYLOCKで再び味わった時、立ち上がれるだけの意志は残っていなかった。

 

なんか長くなったので中編に。次回はアネモの事から書く予定。

 

 

不人気役者の挫折-前編

僕は舞台役者をやっている。この記事を読んでる人たちには何を今更という話かもしれないが、少し役者としての僕の話をしたいと思う。

☆所属劇団「コメディアス」と僕

僕は仙台にある劇団、コメディアスに所属している。
ここがどんな劇団かは適当にGoogleで検索してもらうなり、Twitterで調べるなりしてもらえば詳しくわかると思うのだが、名前の通りコメディを専らに取り扱う劇団である。先日第三回公演であるKEYLOCKを無事終えたところだ。

それじゃあ僕自身は誰?という話だが、僕は2014年9月に行われたとうほく学生演劇祭出場作品であるファイナルカウントダウン(以下:FCD)に出演した役者の一人だ。つまるところ旗揚げ人でもあり、演出の鈴木藍礼とは最も付き合いの長い人間、じゃないかなあ…。
ちなみに僕はコメディアス以外での演劇経験はほぼ皆無。FCDから続けてれば他のところからも声かかるんじゃないの?と思う演劇人諸君もいるだろうが、だてに自他ともに認める「不人気役者」をやってないのだ。

これからタイトルにある通り、この不人気役者がちょろ~っと挫折するまでのお話を書いていこうと思う。

☆FCDと演劇祭

〇とうほく学生演劇祭

2014年9月、我々コメディアス(この時は東北大学学友会演劇部名義だったけど)は初作品となるFCDで第一回とうほく学生演劇祭のタイトルをもぎ取り、全国学生演劇祭への出場権を手に入れた。
とにかく「勝った」という充足感に包まれていた。明確な勝利条件をクリアし、他の劇団よりも優れた物を確かに提示したと。

しかしこの時から既に自分という役者の存在には疑問を呈していた。

僕の舞台上での役割は簡単に言えばお客さんの視点誘導だ。何か面白いことが舞台上で起これば一緒になって笑い、すかさずそれとなくお客さんに"イヤミ"を感じさせないように気付かせる。つまり僕自身が取った笑いではない。俺の仲間が凄かっただけだと。

僕は初回公演にして不必要な役者だとわかった。

結果はあからさまに出た。
アンケートの中に僕を称賛する声なんて微塵もない。他の役者は全員別の劇団からのオファーも来たらしい。そんな物は一つもなく、俺は劇団が始まってから既に不人気役者だった。
どうやら俺は劇団内で唯一代替が効く存在らしいとも思った。まぁ僕の演じた事って良い意味で言えば"経験と技巧に裏打ちされたもの"だけど、身も蓋もない言い方すれば"誰でも習得できる技術"でしかないからね。

そしてこの時アンケートを読んで気づいたが、僕はすこぶる女性にウケが悪い容姿、声、身体の動き、役どころをしているらしい。いわゆる「女性ウケ」についてはこの時には誤差の範囲だろうと思ったし努力で何とかなるだろうとも思ったが、後に真に重要なモノだという事をハッキリ思い知ることになる。

〇全国学生演劇祭と名古屋公演

月日は変わって2015年3月、京都で第0回全国学生演劇祭が行われた。結果を言えば三冠達成の大金星、僕たちは栄えある全国覇者となった。
感想を言えば「終わってしまえばこんなもんか」という感じだった。もちろん全国大会で優勝(この言い方は語弊があると怒られるが)したことはとても嬉しかったし、役者をやってて初めて称賛してくれる人が現れて涙を流した。
それに優勝した事実よりお客さんを満足させる事が出来た事が何よりも嬉しかった。
ああ、お客さんの事を第一に考え、自分が目立つ事よりも仲間の良さをお客さんに届ける事に徹し続けた。劇中の引用ではないが「お客様は神様」なんだぞ、と。
みんなが褒められるのが嬉しい。こんな俺みたいな取り柄のないクズでも、こうやってお客さんを楽しませてみんなの役に立てるじゃないか。どうだ、僕の仲間は凄いだろうって。

結果から言えばこれが間違いだった。

どんなに僕の周りが才溢れる者ばかりでも、結局僕自身は運が良かっただけの一般人いやそれ未満のクズでしかないのだ。口では「お客さんのため」なんて言っても僕は舞台内外問わず魅力的な人間ではないことに気付いていたし、今回の優勝も俺なんていなくても彼らだけで出来たんだろうなと。

元々人間として自信が無かったためこういう役回りを選んでいたが、もしこの時に少しでも自らが目立とうと思えば充足を得られたのかもしれない。
しかし演劇というジャンルのいびつさ、何より僕には「女性ウケ」が圧倒的に足りないとすぐさま思い知ることとなる。

ヨーロッパ企画「TOKYOHEAD」を通して

2015年三月下旬、全国学生演劇祭および名古屋G/PITでのFCDの公演を終えて、演出の誘いもありヨーロッパ企画さんの舞台TOKYOHEADを観に行った。
このTOKYOHEADは3D格闘ゲームバーチャファイターに命をかけた男たちの実話を基にした物語である。

僕は格闘ゲームがかなり好きで普段からもちょくちょくプレイしている。別に映画好きでなくともアニメ映画は観に行くように、TOKYOHEADもそういう客層が来るのだと思っていた。
しかし会場に入ってみて驚かされた。観客の大半は女性だったのだ。何を今更と思うかもしれないが、この時にこそ一番驚いたのだ。
格闘ゲームをやっている女性というのは非常に少ない。下手したら演劇人といえど存在すら知らないという方が多いだろう。だからこそ僕はいくら演劇を観に来る人の半分以上が女性というのが一般的であれ、このTOKYOHEADの観客の男性が占める割合は高くなるだろう、と。

しかし現実は逆だった。演劇というコンテンツは何もアイドルマスターsideMのように、女性向けとして作られたものではない。そうではないのに殆どの作品、更に言えば格闘ゲームを題材にしたTOKYOHEADですら女性が大半を占めるといのは、コンテンツとして異常である

この時ふと、FCDのアンケートの内容を思い出す。
名指しで誰それを好き、とか可愛い、だの書いてるお客さんの殆どは女性じゃなかったか?と。女性ウケって演劇において一二を争うほど重要なパラメーターじゃないのか、と。

もちろん、褒められた役者がただ女性にウケやすかったからだとは微塵も思わない。彼らの努力は何よりもこの俺が一番評価する。
しかし続く名古屋公演、さらに先の仙台で行う凱旋公演ではこの杞憂は確信へと変わり、更に先の公演では言い逃れのできない事実として不人気役者に重くのしかかってくる。

読者諸君の「女ウケを理由に努力不足を棚に上げるな」という声なぞ容易に想像できる。だが俺とともに一度でも演劇を行ったものなら多少思うところはあろうとも、閉口する、いや閉口したものが殆どだろう。
生まれ持った容姿、声、根本に根差す人間性が、最早才能と言って差し支えないそれらが、圧倒的に俺には足りなかったのだと。

☆結局何が言いたいんだお前は?

こうお考えになってる諸君もいるかもしれない。でも僕は別に何か主義主張があってこれを書いているわけじゃない。
ただ言いたいのはもっと人間的魅力と才能に溢れた人間が僕の持っている技術やセンスを持ち合わせる事が出来れば、俺は途端に不必要な役者となるということだ。

こんな持たざる者代表である僕の事を面白かったと、素晴らしかったと言ってくれる人は確かに存在する。それはとてつもない身に余る光栄だ。涙が出るほど嬉しい。誤解しないでいただきたいが、それは本当に嬉しいものなのだ
しかし舞台の事に悩めば悩むほど、苦しめば苦しむほど、一生懸命取り組めば取り組むほど、他の役者とのギャップや称賛の声量の差というのは気になってしまう。

この時からずっといやもっともっとずっと昔から、こんな歪な俺は他者から肯定されるべき存在ではないのだと、脳の奥が警鐘を鳴らし続けていた。

 

長くなったので分割して、後編はFCD凱旋公演の話から行おうと思う。